石叫■           「母、帰る」A

幸い、母は気分が優れなかったが、無事機上の人となった。看護師の南城さんのお務めは羽田までだ。これまで絶えず母の酸素吸収度を看、体調を気づかい、励ましてくれることによって私たちの旅を平安なものにしてくれた。ここまで来ればもう大丈夫だ。彼女は一泊してからアメリカに戻る。いくらヴォランティアとは言え大変な犠牲である。主の豊かな祝福を祈らせていただいた。

羽田を飛び立って間もなく山野を覆う雪が次第にその白さを増してゆく。四五分ほどで着いた三沢は雪が街路を埋め尽くし、1メートルほども家々の屋根に残っている。街はまだ冬の眠りの中にあった。そこから七戸までは小一時間は掛かったが、寂しい野道を行く車中は母の心をなお寂しくするのではないかと懸念しながら母を気づかっていた。そのようにして七戸に着いたのだが、そこで最後の関門が待っていた。母が七戸病院に入院できなくなったのだ。

陽子も夫の戸館もNPO法人「シャローム」の創立メンバーで身心障害者の養護育成のために忙しく仕事をしている。母を看る時間的な余裕はない。せめて介護保険が適用されるまでの数週間、病院で様子を看ながら次の段階に進めたらと願っていた。だが、母は担当医師から、「四十日したら、また来て下さい」と言われてしまった。もちろん、誰かヘルパーがいれば良いのだが、そういう人も既成のルートを通して見つけないといけないし、僕は週末に実家の津軽に帰るので、最初の数日間は看護できるから良いが、それからどうしたものか、頭を抱える事態になってしまった。でも入院できないとなると帰るしかない。実はちょうどその時、母は呼吸困難になったのだ。それはとても家で看護できるような状態ではない。そこで別の医師に診てもらい早速入院となった。母には悪いが、この呼吸困難が付き添いする者たちに光明をもたらすことになる。いよいよ母はこの七戸を終(つい)の棲家として療養に専心することになった。

母は節子の看護のために二十年以上もの間、ロサンゼルスのわが家で身を粉にして仕えてくれた。共に節子の病と闘ってきた。入院から四日後、その母とついに別れる時がやってきた。津軽に帰る僕の手を母は離そうとはしなかった。

聖書に「イエスは〜世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された」(ヨハネ13:1)とある。節子とは死に別れ、今度は母とも別れねばならない。僕の心も千々に乱れていた。その母を誰に託そうか。それは最後まで愛された神なる主イエスである。主はその愛のゆえにあなたを離しはしない。