石叫■           「輝く笑顔の人」G

その間にもぐんぐんその数値が下ってゆく。家内がズルズルと死に引き込まれてゆく。再度、今度は娘に電話した「早く、今どこに居るの?」「フリーウェイに入るところよ!」。その電話をし終わって五秒も経った頃であろうか。モニターの心拍数が六十を切ってしばらくしてからだった。突然、「ピー」という音をだして波状状態から直線に変わった。節子は少し舌を出したかと思うと、そのまま動かぬ人となった。ああ、愛する者が目の前から去ってゆく。僕の手の届かない世界に行ってしまう。いったいどうしたら節子を引き止めることができるのだろうか。どうしたら呼び戻せることができるのだろうか。もう体を揺すっても、声を大にして叫んでも、応えてはくれなかった。もうどうしようもない世界に旅立って行ってしまった。思わず節子に、「どうして僕を置いて先に行ってしまったのか!」と叫んでいた。悲しみと寂しさがこんなにも重く痛いものであることを、この時、僕は初めて知らされた。僕は半身を失った。

モニターが大きな音を響かせた直後、看護婦が急いで入ってきて、「医師を呼んで死亡確認をします」と言って出て行った。医師は聴診器を心臓に当てて、僕に頷いただけだった。それから十分後、子供たちが入ってきた。もう節子の体はビクともしなかった。愛する者の死を悼む叫び声がいつまでも響いていた。

九月のドクターの死の宣告から節子は五ヶ月間生きた。それは主に呼吸困難との闘いであった。ベッドに横になると咳き込む。そこで椅子に座って眠る。もちろん、それでは熟睡できる訳はないので、またベッドに戻り、睡眠薬を摂って眠るという日々の連続であった。それはまた壮絶な病魔との闘いであった。

「わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした」(Uテモテ4:7)とある。パウロはその信仰生涯を終えるにあたって、立派に走り尽くしたと自負できた人物であった。節子はその信仰を彼女なりに守り通したと言える。彼女の生涯を一言で言い表すとすれば、それは「輝く笑顔の人」という表現がぴったりするのかも知れない。そのような妻と寄り添うことができた僕は仕合せであった。結婚生活の3分の2は病との戦いであったが、それが苦とはならなかった。妻の痛みは僕の痛みであり、妻の弱さが、逆に僕の心を優しくしていたからだった。

やがて天で節子にまみえる日まで、その笑顔に見守られながら与えられた信仰の馳せ場を走ることにしよう。愛する者よ有難う。また逢う日まで(完)。