石叫■           「輝く笑顔の人」E

彼女は熱があるのなら、それを治すだけでも入院すべきではないかという。結局、ダウニーのカイザー病院に入院したのだが、それが節子の最後の治療となってしまった。それから一週間後に家内は帰らぬ人となってしまったからだ。

その間、僕は病室にほとんど泊り込みで看護することになる。さらには一旦日本に帰っていた妹を呼び寄せることにした。ほんの一週間前に呼び出したばかりの妹を再び呼び寄せるのは気が重い。夫と青森で介護施設の経営をし、機織の技術を教え、事務処理をし、施設入居者の食事の準備に追われ、つい最近まで夫の両親の介護に追われていた妹である。簡単に呼びよせることはできない。しかし今度の節子の状態は、はた目にももう時間の問題と思われた。妹は二日後には文字通り、飛んできた。そして母の看護に専心してくれた。一方、母は三日間入院して帰ってきた。肺炎であった。抗生物質を投与することになったのだが、依然として呼吸困難が時おり起こった。さらに家内の召される二日前に再度入院することになる。その時は息子が入院手続きをしてくれたのだったが、その頃はすでに節子の容態が悪化していた。そこで息を引き取る前に節子に会って欲しいと願って母の退院を申し出たところ、病院側は拒否した。抗生物質を投与し続けなければならない体なので、今は出せないと言う。結局、僕が病院と交渉し、翌日出してもらったのだが、それは十九日のお昼前で、節子はその時はすでに意識がなく、母の叫びに応えられる状況にはなかった。

節子の最後の一週間の入院の間、僕は節子の死の準備をすることができた。葬儀のプログラムのこと、司式者、メッセンジャーの選択や献花などをどのように進めていったら良いのかを率直に話し合った。それは節子のこの地上での最後の大仕事であった。もちろん節子がする訳ではない。残された者がする。時には意識が混濁し、話をしてもすぐ眠ってしまう節子の傍らで、これから家内は一体どうなってゆくのだろうかと思うと、不安で不安でしかたがない。時おり言いようのない寂しさが襲ってくる。家内の傍らで思わず涙していると、節子はアイビーの絡んだ手を僕の頭にあてて言ったものだった「大丈夫よ」と。  

聖書に「この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない」(ヘブル4:15)とある。この大祭司とは主イエスのことである。人ですら私たちを励まし慰めるとしたら、ましてや生ける神ではないか。私たちの弱さや涙をおもんぱかってくださらないはずがないではないか(続く)。