石叫■           「輝く笑顔の人」D

人工透析のために週三回はダウ二ーに行く。それは半日を要する大仕事であった。それと同時に床に伏す米寿を過ぎた家内の母の看護もある。当然、教会の仕事は満足に出来ず、近隣の牧師たちの援助を請わねばならないことになる。

クリスマスの頃になると、節子は自分で歯も磨けないほどに意識が朦朧とするようになった。その兆候は僕にはもう末期だと思われたので、すぐ日本の家内の妹を呼んだ。でも幸い、彼女が来た頃にはまた意識がもとに戻るようになっていた。この頃、訪問看護師の薦めもあって、子供たちと家内が体力の要る人工透析にいつまで通ったら良いかという話し合いをした。意識の低下する中での透析は、むしろ危険だと思ったからだ。看護婦の話では、施設もその様な状態では受け付けないという。皆が一致したのは、延命治療をせず、節子の意識が無くなる頃が透析終了になるであろうというのであった。そうなると透析終了時から絶命まで一ヶ月だという。わが家には厳しい決断が迫りつつあった。

しかし、ヨブ記に「すべての人の息は彼(主)の手のうちにある」(12:10)とある。厳しい決断をするとしても、そこにも主イエスを愛し従った者への豊かな祝福と導きがあると信じることができるのは、何よりも幸いであった。

年が明けて四日の夜のことであった。家内は夜寝る前に必ず僕に「今日も有難う」という。節子は日に何度も言う。でもその日はいつもと違っていた。有難うではなく、家内は「アイ・ラブ・ユー」と言ったのである。僕は自分の耳を疑った。そのような言葉は結婚してこのかた三十年、家内の側から言ったことは一度もなかったからだ。そこで僕は確認した。「節子、節子の方からそう言ったのは今が初めてじゃない?」と。そうしたら家内は「そうよ!」ときた。これまでその言葉は僕の方から一方的に言ってきただけに、僕は思わず家内の頭が変になったのではないかと一瞬疑ったのだが、実は内心嬉しかった。そしてベッド横の椅子に座って呼吸困難に耐えている家内がいつになく愛しかった。

一月十一日、母が呼吸困難で近くのロスアラミトス病院に緊急入院した。前日の夜半から急に苦しみ出したからだった。それまで母は風邪のためにひどい咳に悩まされていて健康状態が危惧されていた。そして僕が母の緊急病棟での治療を終えて一般病棟に移された朝の五時過ぎに家に帰ってみると、節子の容態が変だ。意識が朦朧としていて、応答がスローでしかも熱がある。そこで入院すべきか否か、いつもの訪問看護婦に来て診てもらうことにした(続く)。