石叫■           「輝く笑顔の人」C

二日後、子供たちと家内に話したと同じドクターの宣告を日本の家内の妹、陽子にも話した。しばし彼女は絶句した。家内の腎臓移植のために三年前、自分の腎臓を提供しようとしてダイアットし、万端体調を整えてきたのだったが、血糖値がひっかかり移植できなかった。父親の早世した家庭で育てられた節子と陽子にとって、姉は自分の母親も同然であった。小学校に上がる前の節子が三歳半年下の陽子を背負ってお風呂屋さんに連れて行っては世話をしたという。それだけに陽子は最後の最後まで節子のために身を粉にして仕えてくれた。

数ヶ月の命ですという宣告を受けてもなお家内は、腎臓移植の夢を捨てなかった。もう右手、顔にガンから来ると思われるコブが幾つも見えるのに節子は最後の最後まで移植をして元気になって神さまにもっと仕えたいと願っていた。

しかし三時間半の人工透析は体力のない節子には過酷であった。血圧低下と、長時間椅子に縛られていることから来る背中の痛みで、途中で意識を失うこともあった。救急に走ったこともあり、夏の間は透析を何度も途中でストップしなければならないような状況にあった。でも、この九月の宣告の後、家内は最後までこの透析をやり通した。透析を無事し終えた帰りは、ご褒美に途中でマクドナルドに立ち寄っては大好きなフィレオ・フィッシュを買った。子供たちにピックアップされ、ついでに買ってもらった時などは、大事そうにそれを両手に持って「これ買ってもらったの」と言っては子供のように喜んでいた。

九月の下旬、初めてガン専門医のところに行った。「すでにガンが全身に広がっていて、今はカルシウムを投薬するしか方法がありません。その後でキモ・セラピーになるでしょう。節子のガンは臓器移植者特有のもので、世界でも四、五例しか前例がありません。これからどうなるかという統計もなく、どこまで生きるのかも不明です。でも七年も八年も生きたケースがありますから、気落ちしないでください」とも言った。それから二ヶ月後の十一月下旬、同じ医師から、「残念ですが、もはや私には何もできることはありませんし、節子にはキモ・セラピーできる体力はありません」と言われてしまった。もう手の施しようがないところまで来てしまった。最早、医師からも見放されてしまった。

その様な状況にあっても聖書は「恐れるな、わたしはあなたと共におる」(イザヤ43:5)と語る。大敵に囲まれ、恐れしかないような状況でも、私たちを創造された愛の神は、決して私たちを一人ぼっちにしないというのだ(続く)。