石叫■           「輝く笑顔の人」B

次ぎの日、子供たちに話した。すぐにも伝えたかったのだが、この種の件は二人の子供たちと一緒に、とにかくわが家ではこれまでいつもそうであったように、大事なことは家族で話すことが肝心だと思っていたので、皆で話し合った。娘は泣いた。僕も泣いた。僕はこれまで子供の前で一度だけ涙を見せただけだった。それは十年ほど前の娘の洗礼式の時だった。受洗し終わっていざ祈りを捧げている時、僕はこれまでの娘の歩みを考えた時に、よくぞ主がお守りくださったと思い、感きわまってしまった。それ以来である。今回も涙だけは見せまいと思ってはいたのだが、節子の絶望的な症状を話しているうちに、もう自分を抑えることができず、熱いものがとめどなく流れるのを禁じることができなかった。息子は僕の背にそっと手を置いて、気丈夫に涙をこらえていた。彼は節子の命がまだ一年あると思っていたようだったが、初めて見る意識朦朧としている節子を目の当たりにするにつけて、病状はもう手の施しようもないほど進んでいることを認めざるを得ず、目を真っ赤にしていた。ただ、節子だけは何事も無いかのように、「大丈夫よ」と言い続けては僕らを慰めてくれたのだが、それが返って空しく部屋に響くのだった。僕らはみな声を殺して泣いた。

 この九月三日はちょうどJEMSの日本語主事、稲山昭子さんのメモリアル・サービスだった。大腸、直腸、肝臓などのガンのため五年近くもの間、病気と闘い続けてきたのだった。そのような中でも彼女はおりおり節子を励まし、ついに賛美の中で天に凱旋されて行った信仰の勇者だった。それだけに、ぜひ葬儀には出席したかったのだが、家内の人工透析のためにそれも叶わずにいた。

この頃、節子はもう一人では歩けなくなっていた。ウォーカーを握って歩こうとしても後ろで支えてあげないと今にも倒れそうである。もう完全看護の状態になってしまっていた。そこで病院側は九月から待機治療を提供してくれた。これは医師、看護師、ヘルパー、ソシャル・ワーカーそして精神療法に当たる牧師たちが一体となって最後を看取る終末ケアーの一つだ。これによって本来は病院に行って治療しなければならない多くの治療が家でできるようになり、医師間の横の連携もスムースにでき、家族にとっては実に大きな助けとなった。

ヨハネ伝に「イエスは涙を流された」(11:35)とある。主イエスは愛するラザロが召された時、悲嘆の中にあるマルタやマリヤのことを思い、共に痛んだのだった。共に泣かれる主ほど涙する者にとって大きな慰めはない(続く)。