石叫■           「輝く笑顔の人」A

それは9月2日、カイザー病院によって待機治療という死を迎える人たちのケアーが始まった直後であった。担当のフォード医師が訪問して「奥様に何か緊急事態が起こった場合には、どのような対処をしますか」と尋ねてきた。それは延命治療のことである。それ自体は何の変哲もない質問だが、その時も一週間近く入院をしていたこともあり、数人の医師から、同じ質問をされたのだった。なぜ、彼らは同じ質問を繰り返しするのだろうかと不思議であった。そこで、その質問を家内の前でするのもどうかと思い、彼が家を出てから尋ねることにした。「今回の入院で数人の医師からあなたと同じ質問をされたのですが、なぜそうするのですか。それほど家内が危険なのですか」と。彼は言った、「そうです。私の経験から言えば、奥さんの場合には数ヶ月しか生きられないと思います」。それは僕にとって頭をガーンと大きなハンマーで殴られたような衝撃であった。確かにガンの宣告は受けていた。移植者特有のガンで、ほどこし用がなく、またこの種のものは世界でもほとんど前例がないため、どのように展開してゆくのかも不明というものであった。でも僕には、家内の限りある命がそこまで迫っていたとは考えられなかったのである。否、考えたくはなかった。

その事実をどのように子供たちに、そして妻に伝えたら良いのか、しばらく迷ったが、その夜、まず家内に話した、「節子、この種のガンは長くは生きられないんだって」と。そうしたら家内は一瞬びっくりしたような顔をしたが、「そうしたらイエス様に祈ってみる」と言った。だがその直後、家内は歌いはじめたのである。家内の愛唱歌の一つは賛美歌270番、「信仰こそ旅路を導く杖、弱きを強むる力なれや」という賛美だった。節子の半生は病との闘いであったために、その度ごとに彼女を励まし、力づけてきたイエス様のみが節子のすべてであった。だからイエス様に祈って信仰を強められ、肉体の癒しが与えられ、賛美できるようにと家内は祈ったのだった。そして、そうして下さる主を信じて賛美したのだった。特に昨年の春にガンが発症してからというもの、患部が痛む時、僕との行き違いで心が沈んだ時など、絶えず歌ってきたのだった。

詩篇に「わたしのさんびはあなたから出る」(22:25)とある。ある訳では「わたしは賛美するために造られました」とあるが、病の床の中で家内のできることは限られていた。寝返り一つできなかった。でも賛美はできた。それが家内の心の安らぎであり、心の拠り所であり、生きる力であった(続く)。