石叫■           「輝く笑顔の人」@

家内の節子がこの19日についに天に凱旋した。享年62歳であった。その一週間前の12日からカイザー病院に入院していた。肺炎に罹ったからだ。家族の一人がカゼを持ってくると、皆が仲良くカゼをシェアーするようになる。母も子供たちも私も、そして家内もだ。母が呼吸困難のために前日遅く近くのロスアラミトス病院に緊急入院して諸手続きを済ませて翌朝帰ってきた時に、家内の容態が正常ではない。意識朦朧で、なま返事なのだ。それに呼吸をするとゼイゼイ音がし、熱がある。そこで毎週訪問してくれるナースに来て診てもらったところ、すぐにも入院を薦めてくれた。二人同時の緊急入院となった。

家内が入院して二日目のことだ。僕は一日中付き添っていたので、家事のこともあり、いざ帰ろうとして、「節子、じゃあ、帰るよ」と言った時だった。節子は、「じゃあ、私も帰れるんでしょう」と言ってニッコリ微笑んだ。もちろん、入院したばかりで、様々な診察が始まるのはこれからだ。帰れる訳がない。でも、僕が家に帰ると言った時に、家内は呼吸困難の朦朧とする意識の中で、とっさに家に帰れると思ったのだ。いつだったか家内が体調不良だったので、「節子、病院に行くよ」と言ったことがあった。するとすぐに「イヤだ」という答えが返って来た。絶えざる入退院の反復の中で、本能的に病院の雰囲気がイヤになっていたのだ。だから僕が家に帰ると言った時、それが家内の心に一縷の希望の響きとなって彼女を微笑ませたのだった。もちろん僕としてはその喜びを実現させてあげたかったのだが、それはもとよりできることではなかった。しかし、それよりも家内の一瞬の笑顔が悲しみに変わったのが僕には辛かった。絶えざる痒痛、渇き、そして闘病から来る体全身の痛みの中で笑顔とはほど遠い日々であったので、その時の輝くばかりの笑顔がひときわ心に残っていた。

19日に天に凱旋するまで毎日付き添っていた僕にとって家内の笑顔が、どれほど大きな支えであったことか。今まではあまり分からなかったが、それが僕の心の大きなウェイトを占めていたのだった。僕は家内の笑顔に励まされ、それを見たいがために家内と共に病を闘って来たとさえ言える。そのように愛する者の笑顔を期待するところに生きる原動力がある。同様に主イエスの犠牲的な十字架の愛に応えたい、主に微笑んでもらいたいという思いが私たちの信仰の力ではあるまいか。「主を喜ぶことはあなたがたの力である」(ネヘミヤ8:10)とあるが、あなたの微笑みがあなたの愛する者を励ます力となる(続く)。