石叫■           「愛する者の看護」

今回のものは久しぶりに月間デボーション・ガイド『クレイ』(2011年1月)から引用したもので、「見返りを期待しない愛」というサブタイトルである。

世界に広がるラルシュ共同体(知的障害者の生活ホーム)の創始者であるジーン・バニエは、無条件の愛について次ぎのような実話を紹介している。

 

私はパリ在住のある人を知っている。彼の妻はアルツハイマー型認知症になった。彼は成功した多忙なビジネスマンの一人であったが、仕事を辞めた。妻の看護のためである。彼はこう語っている。「私は彼女を看護施設に委ねることができなかった。そこで、自分で彼女を世話することにした。彼女に食事を与え、風呂にいれた」。しばらくして私は、彼を見舞うためにパリを訪れた。あれほど多忙であった彼が、こう言った。「僕は変わったよ。より人間らしくなったようだ」。先日、彼から手紙を受けとった。彼が言うには、ある日の夜中に彼の妻が彼を起こしたのだそうだ。ほんの一瞬であったが、彼の妻は霧から抜け出したように正気に戻った。そしてこう言った。『ダーリン、あなたが私のためにしてくれていることのすべてに、感謝するわ』。そう言い終わると、彼女はまた霧の中に戻って行った。彼の手紙には、「僕は泣き続けたよ」と書いてあった。

 

昏睡状態にあった者が、どうしてもこれだけは言いたいという強い意志が、そのように目覚めさせ、看護をしてくれた夫に感謝の言葉を語る力を与えたのであった。ある一例では、医師から「もう臨終です」と宣告された女性が、彼女の回りで死体処理のための綿を捜している遺族に対して、「タンスの上から三番目の引き出しに入っている」と言ったそうだ。びっくりしてそこを見たところ、あったという。その直後、もはや二度と彼女は目覚めることはなかった。

 「愛は死のように強く」(雅歌8:6)とある。人は死という人類の誰も越えることのできない壁を越えてまでも愛する者たちに、自分の意志を伝えようとする。愛は死をも越えるものだからである。ましてや永遠に生きる神ではないか。時間を越え、空間を越え、死の川波をも越えてまでも、今も私たちに語り続けているのである。それは何よりもあなたを救うためであり、一言あなたに「愛している」と伝えるためであった。キリストは神として今もなおその使命に生きておられるのである。その主のお声が、ほら! 聞こえはいませんか?