石叫■           「認知症のお母さん」

 今回は津軽在住の姉が送ってくれた地元の新聞『東奥日報』(12月12日付)に載った「診療所の窓から」というコラムの執筆者、松岡史彦医師のものだ。

松岡医師を前に、ぼけてしまった母について息子は、次ぎのようにぼやく。   

 「先生、母はぼけて気が狂ってしまった。夜は寝ないわ、嫁を泥棒呼ばわりするわ、外に出て車にはねられそうになるわ、家が大変だ。す〜ぐ怒るし。精神病院を紹介してくれ。さあ、さあ」と言う。それに対する医師の涙の答えだ。

 「お母さまは確かに認知症のようです。しかし、一足飛びに精神病院に行く前に、少し理解していただきたいことがあります。まず、お母さまは気が狂ったのではありません。記憶が保てなくなって、つじつまを合わせで、なんとか正気を保とうとしているのです。財布が急に目の前からなくなれば(記憶がないのだから本人にはそう見えます)誰かが取ったという説明は大変合理的。夜になって暗い所にいて、周りに誰もいなくなれば、見知らぬこの場所から逃げ出そうとするのは(ここがどこかだか判らなくなっているので)、むしろ当たり前のことかもしれないです。外が明るくなれば仕事に出るのは、かつての記憶をよりどころに生きているのであれば、(今の記憶がつくれないので)、外に出るでしょう。息子さん、気が狂っているのではありません。確かに記憶する能力が低下して、場合によってはものの意味さえ忘れてしまって、一見奇妙な行動のように見えますが、お母さまの精いっぱいの、合理的な対応ですよ。せめれば腹が立ちます、怒ります(人によっては落ち込みます)。お母さまが体験している、本当にぎりぎりの、冷や汗の出るような一刻一刻をどうか想像してください。残った能力のありったけで対応する日常を、恐怖からの脱出を、簡単にぼけたなんて言わないでください。あなたが同じ状況に陥ったとしたら、その絶望的な恐怖を救うのは、やはりあなたの息子しかいないでしょう。この世の中で一番にあなたを愛したお母さまを救うのは、あなたしかいないでしょう」

八十歳以上の3割が認知症になるという。だから当然、親族にもこれと似たような出来事が起こっている。そのような時、どうしてもこの息子のように、以前のようでない親に向かっていきり立ってしまい、その立場を理解することが難しいということが起こってくる。聖書に「老人をとがめてはいけない」(Tテモテ5:1)とあるが、これは「その人の立場に立って考えよ」という意味なのである。彼らこそ残った全能力を駆使して日常に対応しているのだから!