石叫■            「妻の呼吸困難」

ここ数週間、妻の呼吸困難が厳しさを増している。特に夜にそれがひどい。そのような時はベッドから起きて椅子に座ることにしている。
もちろん、酸素吸入器をフルに使ってはいるのだが、それも十分ではない。普段の酸素使用量は毎分2リットルが平均値なのだが、それが
最大の5リットルでも困難なのだ。そのような時は深夜の一番眠くなる時に睡眠薬を飲む。するとまもなく眠る。      

その原因というのは、右肺に水が貯まっていることによる。それに左肺はあまり機能していない。腹膜人工透析をしていた今年の二月までの八年間、
透析用の溶液10リットルを循環することによって老廃物を排出していたのだが、その溶液が腹膜を突き抜けて右肺にまで入り込んでいた。
それでは呼吸が困難になると考えた腎臓専門医が血液循環人工透析方法に変えたのだが、依然として肺に貯まった水量は変わらない。もちろん、
何度かにわたって数リットルもの水を取りだしたのだが、どういう訳か、また元の量にもどってしまう。結果的に透析を週3回から一日増やしている。
1回三時間半の透析の間、妻が寝椅子にジットして動かずに耐えているのは、はたで見てても辛い。
血液から一度に三リットルもの水が絞り取られるのだから、体力を消耗もはなはだしいのだ。

今日(三日)も朝から呼吸困難が続いている。そのような時は「アー、アー」と唸り、顔をしかめる。
僕が「どうした。苦しいか。酸素量をもっと上げようか」というと、か細い声で「大丈夫」と応える。
実際は酸素量を最大にしても苦しい訳だから、もうわが家どうしようもない。緊急入院しか選択がないのだ。

今日、娘が妻を透析に連れて行ってくれた。その後、僕は教会に出向いたのだが、礼拝堂の椅子に座って中庭をじっと見つめながら黙想している時が
一番心が落ち着く。特にフォックス・テールに陽が差し込むような時には、その鮮やかなグリーンが陽に映えて、幻想的なまでに美しい。
そこで妻のことを思って僕は叫んでいた。「主よ、これ以上、妻が苦しむことのないようにしてください!」と。

「神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはない」(1コリント10:13)との主の約束がある。
それを信じて主に叫ぶことが今の私たちのなし得る最善の礼拝である。だから主の為してくださる事を心待ちにしよう。
み言葉がこの苦しみをも賛美に変えてくださると信じて主を賛美してゆこう。
瀕死の中でもパウロとシラスが獄中で賛美したように、最悪の状況だと思える時でも、神にとっては最善に変える恵みの時なのだから。