石叫■           「スランプをバネに」

NHKの人気番組「仕事学のすすめ」に伊藤真という大学在学中に司法試験に合格し、六百人収容の大教室が連日満員になるという塾長が登場した。
彼は一度、司法試験に失敗している。その彼のスランプからの脱却法を記したい。

 「私はスランプというは自分が立てた目標と現実の自分、そのギャップを自分が感じている状態だと思っています。
自分がこうありたい。こんなふうにうまくやりたいと思っているのに、どうもそこに到達できない自分がいる。そんな自分がやんなっちゃう。
その状態がスランプだと私たちは考えてしまいます。でも考えてみてください。自分がこうありたいのにうまくいかない。
それがスランプだとしたら、そのように目標や理想を持っている人しかスランプにはならないのです。もし皆さんがスランプを感じたとすれば、それは
高い目標、理想、志を持っていることの現われなのです。ですからスランプに陥ってしまったということは、悲しむことじゃないんですね。今一度、
それを自覚して自分を誉めてあげるチャンスなのです。自分が一生懸命に努力しているのにそれに見合った成果が得られていない。
こう感じているからこそスランプだと思う訳なのです。努力をしていない人になんか、スランプはやって来ません。まさにゴールに近づいている証拠
なのです。そして、もう一つ大切なことは、スランプということは自分がそう思い込んでいるだけなんですね。
こんなに努力しているのに、成果が出ない。そう思い込んでいるだけなんです。そんなこと言ったって、テストの結果に現われているじゃないか。
会社の評価に現われているじゃないか。そう思っている人もいるかも知れません。

でも、そうではありません。それは自分の頭でそう勝手に思い込んでいるだけなんです。単にテストだけとか、仕事の評価だけとか、それはあなたの力や能力のごく一部を評価しただけなのです。うまくいかない部分を自分で大きくしてしまって、だから自分はダメなんだと思い込まないことです。
ある部分がうまくいかないだけなのに、それで全体の自分を否定してしまいます。そういうことは止めてください」。

果たして信仰生活にスランプはあるのだろうか。大有りである。少なくとも自分には! 祈りにしても伝道するにしても絶えざる自分との闘いである。
パウロは「自分のからだを打ちたたいて服従させる」(Tコリント9:27)と記す。競技をするために節制しなければ勝利が得られないように、
霊的な世界において絶えず主を見上げ続けるためにも、スランプをバネにしたいものである。