石叫■        「あなたも金メダル・クリスチャン」

 このたび「ジャパン・カルヴァリー・クルセード」主幹の福澤満雄先生の説教十選、『イエス様のかばん持ち』
(復活のキリスト東京教会発行)が出版された。実にこれは先生の渾身の作である。その中でも特に心に響いたものを記したい。

 「第一コリント9章24節に『競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。
ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい』と書いてあります。古代オリンピックで賞を受けるのは、ただひとりだけでした。
近代オリンピックになってから金、銀、銅メダルなどが始まったのですが、昔は、神様に最善のものを捧げるのですから、二位とか三位とかはもう最善ではなかったのです。こういう聖書のみ言葉を見る時に、自分は『じゃあ、だめだ』と思うのです。

でもなぜ、賞を受けるのはひとりなのでしょう。パウロ先生だったら可能性があるけれど、二十一世紀に生きている日本人クリスチャンなんか、とてもじゃないけれど、賞なんて受けられないという気持ちになります。でも、パウロは賞を受けるのはただひとりだ。あなたがたも賞を受けられるように走りなさいと言っているのです。これはどういうことかというと、私たちは霊の世界において神の前に信仰の馳せ場を走っています。霊の世界のレースというのは、実はみんなそれぞれ一人ひとりが走っているのです。ライバルはいないのです。
ですから、パウロもあなたがたの前に置かれた、信仰の馳せ場を走りなさいと言っています。私たちはこの地上に生まれてから、人生のレースを走るのですけれど、みんな違うのです。同じコースを走る人はひとりもいないのです。まず距離が違います。生まれて三日も走らないうちに、否、生まれる前にお腹の中で天国に行ってしまう赤ちゃんもいるのです。
十年でゴールする人、三十年、五十年、百年でゴールする人、みんな長さが違う、しかも走るコースも違います。親子といえども、双子で生まれても、人生のレースのコースはみんな違うのです。夫婦といえども、同じコースを走っていません。障害物も違います。そういう意味で霊の世界というのは、一人ひとりが、神によって与えられたレースを走っているのです。
ですから、あなたの前に置かれた馳せ場を走ればいいのです」。

これまで賞を受けるのはただ一人だとしたら、それは熾烈なレースに違いないと思っていた。
でも、人生のレースは自分一人だけであり、私たちはみんな金メダル・クリスチャンであると知った時、心が平安にさせられたものである。