石叫■            「ガン治療」

先週19日、ベルフラワーにあるカイザー病院のガン専門医に会ってきた。すでにガンは体全体の骨に広まっていて、治療法としては骨を強くする薬を打つことであり、その結果を診てキモ・セラピーをするかどうか決めるという。覚悟していたとは云え、ガンが鼻腔から体全体に広まっていることを知らされて愕然としてしまった。担当医から直接言われるというのは、やはり辛い。

 そのガン専門医の女医さんに会ったのは3週間前のことだ。その間、週3回各4時間の人工透析が予定通りできずにいた。肺炎のために4時間が耐えられないのだ。そこで入院治療することになったのだが、その間、多くの医師に診てもらった。彼らが口々に言われたのはターミナル・ケアーであった。当初、その意味は分かっていても、なぜそれが節子に該当するのかが分からなかった。後日、担当医から「不治の病ですから」と言われてはじめて納得したのだった。

そこで専門医に、それではどういうステージで、余命幾ばくかと尋ねたところ、予測不可能だという。6〜7年間も生きた人もいるが、節子の場合にどうなのかは前例がほとんど無いので分からないという。何せこの「プラズマ・サイトーマ」というガンは移植者特有のガンで、世界でも数例しかないという。しかも21年前に心臓移植をして以来、長期間にわたって免疫低下薬と感染防止薬という二種類の強い薬をはじめ数多くの薬を投与してきたので、今後新しい投薬をしたり、キモセラピーをする場合に、どの薬が効いてどういう効果が期待できるかも不明であり、とにかくやってみるしかないというのであった。

節子には女医さんの説明が分からなかったようで、ガンが体中の骨に広まっていることを話したところ、びっくりして「そうなの?」と一言言ったきりだった。幾ら覚悟をしていたこととは云え、励ます言葉が見つからなかった。

節子に限りある命のことを話すと、決まって返って来る言葉がある。それは「イエス様は必ず癒して下さるから、イエス様に祈ってみる」という応答だ。それから賛美を始める。毎夜、節子は呼吸が困難になったり、手足が痛んだりする度ごとに何度も目を覚ますのだが、そのつど歌う。賛美歌と童謡とである。神を讃えながら、天のふるさとを思って幼児のように口ずさむのだ。死に直面する不安の中でも最善を成したもう主を信じて賛美をするところに信仰者の特権がある。「イエスは『幼な子たちの口に賛美を備えられた』」(マタイ21:16)とあるが、主のふところにこそ賛美せざるを得ない天来の安らぎがある。