石叫■            「一枚の写真」

 ファミリー・ヒストリーというNHK番組がある。著名人の家族背景にスポットを当て、今日の自分がどのようなルーツをたどって来たのかを辿る内容である。今回は浅野忠信という若手俳優で、実に感動的なドキュメントであった。

浅野の母方の祖父ウィラード・オヴァリングはミネソタ州ウィノナ生まれの北欧系アメリカ人であった。終戦直後の1946年、彼は18歳で陸軍料理兵となり、まもなく日本に駐留し、横浜に配属された。一方、彼の妻となった浅野イチ子は24歳のとき、満鉄の社員で福岡県出身の廣松定(ひろまつ さだむ)と結婚したが、8年後に離婚している。子がいなかったのが原因だったようだ。離婚したとき、イチ子の父はすでに他界し、母は再婚して別家庭をもっていたため、彼女の戻るべき家は無く、やむなく仕事を求めて横浜に住んだ。

横浜で浅野忠信の祖母であるイチ子とウィラードは友人の紹介で出会う。元・芸者であったイチ子は、ウィラードより15歳年上の38歳で、やがて二人は結婚する。1950年に長女順子(忠信の母)が生まれたが、まもなく朝鮮戦争が勃発し出征する。日本に帰ってきた時には順子はすでに十ヶ月であった。その後、ウィラードは駐留軍の引き揚げに伴って帰国する際、家族の渡米を強く望んだが、イチ子はこれを拒んで日本にとどまることを決意する。イチ子が渡米しなかった理由は明らかでないが、会話もままならない異文化社会で子育てすることへの不安のほか、当時四十四歳になっていたイチ子は、まだ若い夫との年齢差から来る不安を感じていたのではなかろうか彼は一人寂しくアメリカに帰る。それが今生での最後の別れとなった。アメリカに帰ったウイラードは4年後に再婚する。彼らには二人の子供が生まれたのだが、番組の中でその一人が父の死後に父の愛用の財布を持ち出してきた。そして、その中のボロボロになった一葉の写真を見せてくれたのだった。それは順子の幼い頃のものであった。それを知った順子と忠信は人目はばかることなく嗚咽した。

ウィラードは再婚して二人の子供が与えられていても、死ぬ時まで片時も離さずに娘順子の写真を身に付けて日本での往事に思いを馳せていたのである。

一方、神の手には決してボロボロになることのないあなたが彫り刻まれている。「わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ」(イザヤ書49:16)とあるように、日毎にご自分の手を見ては私たちを覚え、その名を呼び、今日も絶えず語りかけ、やがて必ず会える日の到来を心待ちにしておられるのである。