石叫■         二度と原爆を使ってはいけない

 先週、NHKスペシャル「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式」のドキュメントが放映された。その中で米国軍人の中にも原爆の惨状をアメリカ政府に訴え続け、トルーマン大統領の非を叫び続けてきた人物がいたことを知らされた。

昭和21年9月に着任した占領軍長崎軍政部司令官のビクター・デルノア中佐は、長崎着任以前に、戦車隊長としてヨーロッパ戦線でドイツのワイマール近郊にあるブーヘンバルト強制収容所において、ナチス親衛隊の拷問や人体実験の証拠隠滅のためのユダヤ人の機関銃殺の遺体を見て、それを救済した彼らアメリカ軍の働きは正しかったと信じていた。ところが昭和21年10月の長崎市真宗大谷派の原爆犠牲者の慰霊式を見、また市内の小学校を仮病棟にした長崎医科大学付属病院の被爆者である一般市民患者の惨状を見て、アメリカのしたことがナチスの収容所で犯した大罪と同じではないかと感じたのだった。

長崎の惨状を知ったデルノア中佐は、着任半年後に当時十四歳の石田雅子の原爆体験記の出版許可をGHQから得ようとした。だが、GHQの占領当時は駐留米国兵の安全と反米運動禁止のためと、原爆報道禁止が占領軍の方針だったために出版許可は出なかった。昭和23年に娘パトリシアが長崎で生まれた。デルノア中佐は長崎軍政部司令官として、「原爆は人類を滅亡させる無用の長物。二度と原爆を使ってはいけない。あの日の事、死んだ人の思いを生きている人が伝えるべきだ」との考えから、その年の第一回長崎平和祈念式典を市に許可した。 翌年デルノア中佐は長崎を離任し、1998年に83歳で死去するが、彼は「トルーマンは間違いを犯した」と言い続けた人物であった。

ドキュメントでは娘のパトリシアが夫と共に生地の長崎を訪問する。そこは彼女が洗礼を受けた地でもあった。その記念の教会の写真を父のデルノアは肌身離さずに持っていたが、彼が召される時、娘に「これをお前にゆずる時が来たようだ」と言って手渡したという。その時は父の真意が汲み取れなかったのだが、今回長崎を訪れ、その当時の原爆の資料を直接見聞した時に、その地の出来事を決して忘れてはいけないという意味だったのだと分かったのだった。

ネヘミヤ書に「自分の罪と先祖の罪とをさんげした」(9:2)とある。先祖の罪は自分の罪でもあるという聖書の教えである。今回の訪日でパトリシアは米国が二度と原爆を使わないようにという父の叫びを語り継ごうと決心したのだった。過去を語り続けることなくして、私たちは再び同じ過ちを犯すからだ。