石叫■             「食事伝道」

初代教会の伝道の一端を使徒行伝二章に見ることができる。当時は教会堂があった訳ではなく、信者の家々が開かれていた。そこでは「喜びと真心とをもって食事を共にし」(46節)とあるように伝道の手段として食事が用いられていた。信徒が喜びと真心とを持って仕える最善の証しが食事だったからである。

食事をするとお互いの心が開かれ、もてなす者の心が如実に表れる。そのようにして信者たちの献身的な姿が、集う未信者の心に大きな感動となって迫ったのであろう。それが伝道のチャンスであった。初代教会はこれによって大きく前進した。もっともこれは主イエスのよく用いられた伝道方法であった。

ちょうどパウロとシラスが真夜中のピリピの獄屋で鞭打ちの後の激しい痛みにもかかわらず、祈りと賛美をしている姿が囚人や獄吏の心を変えたように、心からの賛美せざるを得ない内側から溢れる聖霊の喜びが周りの人々の心の眼を開くのであった。そこに囚人や獄吏たちは神の臨在を感じたからである。だから彼らは獄の戸が皆開いても逃げようともしなかったし、獄吏はおののきながらパウロたちのもとに駆け込んできて、ひれ伏して主を信じることになった。

ルカ15章に有名な放蕩息子の話がある。彼の父は悔い改めて帰ってきた息子を最上の着物と最高の晩餐とをもって歓迎したという例話である。これはどんなに放蕩の限りを尽くした子であり、世間的にはとても受け入れてもらえそうもない人物ではあっても、本心で神のもとに立ち返る者を神は無条件で受け入れるという意味である。「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません」(詩篇51:17)とあるように、悔いた砕けた心こそが神の前に一番美しいからである。初代教会の賛美と喜びはそのように神に受け入れられた人々の心からの感謝から来たものであった。

初代教会の喜びと真心の食事によって天国に心を開く人々が次々と起されたのだが、この食事伝道が今日注目されている。サウスベイ・フリーメソジスト教会の川原信夫先生がこれを実践していて、今後大きく期待される分野である。

「わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか」(Tヨハネ3:18)とあるように、喜びと真実を実践する最善の方法は家庭を開放しての食事である。それが初代教会の伝道の原点であった。神の国がさらに広がってゆくためにも、豪華でなくていい。だが、あなたの心のこもった手料理の妙味をいかんなく発揮してみては如何であろうか