石叫■            「腰痛」

3月1日頃から腰の辺りが痛み始めた。少々の痛みは時にあるので、そのうちの治ると高をくくっていたのだが、段々それが加速しはじめてきて、ピークが先週の木曜日と金曜日であった。もう寝返りが打てないほどの痛みになってしまった。特に金曜日はゴミ出しの日であったが、トラッシュを運び出すために外に出ても、道端に出す自信もなく、何かで自分が倒れたら自力で起き上がれないのではないかと思うまでになった。椅子に長く座る姿勢が続くと、今度は呼吸も出来なくなるほどであった。土曜の朝は早天であったので、「誰かにお願いして早天を代わってもらったら」と家内から何度も言われたのだが、土曜日は教会でしなければならない仕事があるので、行かねばならず、悶々とするばかりであった。だが、痛いからといって横になっている訳にもいかない。家内や母のために食事の準備、その他一切の切り盛りをしなくてはならないし、ダウニーでの家内の人工透析にも隔日ごとに連れてゆかねばならない。とにかく痛みと堪えながらの一週間が続いた。だがその原因はよ〜く分かっていた。一週間ほど前にした家のトイレのタイル張りがその原因であったことを。

トイレのタイル張りは何年も前からのプロジェクトであった。どんな種類のどんな大きさで、どの色のグラウト(隙間を埋めるセメント)を使うかを考えてきたのだった。僕はレンガやタイルなどのセメント作業は割りとよくしてきたので、差ほど苦にはならない。むしろ気分転換になるので、今回もそのつもりであった、そしていざ、その気が起こったのは二月の下旬であった。僕は気分が乗らないと出来ない性分なので、それをじっと待っていたのである。そこでカーペットを剥がし、タイル・カットの作業が始まった。ところがその後はセメント作業なので、一旦それをすると乾く前に拭いたり、洗ったりの作業がずっと続くために休むことができない。しかも腰をかがめての作業なので、仕舞いの方になると、腰が痛くて何度も床に寝っころがっては背を伸ばすことになってしまった。後で何かが起こらねば良いがとの危惧を予測しながら・・・。

紀元前8世紀の預言者イザヤは「わが腰は激しい痛みに満たされ」(21:3)と言う。それはアッシリヤが攻めて来るという厳しい幻のゆえであった。何という次元の違いか。腰の痛みにも二つの世界があろうとは。イザヤの痛みは霊的であり、僕のものは肉体的なものであった。今回の痛みを通して、少しでもイザヤのように痛むほど霊的に勇ましいものでありたいと思ったことである。