石叫■           「父の学校」その@

 ホノルルの関真士先生から送られてきた「父の学校」をご紹介しよう。これは現在、日本で注目されていて、高度成長の陰で見えてきた負の一面である。

東京2期終了生の広山国臣と申します。62歳です。私は高校までを鹿児島で過ごしました。大学を期に東京に出て、卒業後は静岡県にある企業に勤務しました。娘2人の4人家族です。長女夫婦とともに、全員大和カルバリーで礼拝生活を送っています。 結婚した時、妻はすでにクリスチャンでしたが、妻の思いを無視し、教会に行くこともなく普通の生活でした。娘2人は、長女が高校3年、次女が中学2年の時、一緒に受洗しました。私はその翌年、被害妄想のひどかった母の癒しを通して、48歳の時、主を受け入れました。家族を暴力で押さえつけて 私の3040歳代は高度成長期で、マイホーム主義が軽視され消費が美徳とされた時代です。企業戦士で、家庭を顧みず一生懸命働きました。「男は外で働き、妻は家庭を守る」と言う価値観を持っていました。仕事優先で家族のことは後回し、家族のために働いているのだからいいと思っていました。仕事に追われ、いつもいらいら、よく酒を飲みしました。すぐカッとなり声を荒げ、妻や子供に暴力を振るいました。具体的に覚えている事として、このようなことがありました。次女が3歳位の時、頭を洗ってやっていて、娘の目に石鹸が入って嫌がったことがありましたが、「それくらい我慢しろ」と怒って、押さえつけ無理やり洗ったことがあります。 上の娘に算数を教えている時、分からないとイライラし、頭をぶったことが何度かありました。言うことを聞かない時、夜、車で淋しいところに連れて行き、おどしながら説教したこともあります。今から思えば当然の結果ですが、40代の後半、娘達が思春期を迎える頃から私との関係がおかしくなり、やがて次女が引きこもりを始めました。それでも問題の本質が分からず、娘達の態度が目に余るとよく怒り、暴力もふるいました。妻とも衝突し、家族のためにこんなにまじめに働いているのに、なぜ妻も娘達も不満を持つのか全く分かりませんでした。しかし、娘の状態が一向に好転しないので心配になり、牧師先生に相談したり、聖地旅行をしたりしました。 そういう中で、断食祈祷院に行った時、分かったことが一つあります。娘達が元気でいると機嫌が良いのですが、弱音を吐いたりすると、私はいい顔をしませんでした。これまで、娘のことを祈ってきましたが、「何か自分に、問題があるのではないか」と思い断食祈祷院に行きました。