石叫■    「日米戦争回避の鍵を握っていた人たち」A

ここで日米戦争回避の大きな可能性を秘めていたもう一人の人物を紹介しよう。それはメソジストの宣教師であり、著名な伝道者であったスタンレー・ジョーンズ博士である。彼はルーズヴェルト大統領とも親しい関係にあった。

 1941年11月29日、寺崎英成(昭和天皇の信頼最も厚く、陛下とマッカーサー元帥の通訳として立会っていて、野村吉三郎大使の側近である長兄は外務次官の寺崎太郎氏)は、ジョーンズ博士にルーズヴェルト大統領に直接会って和平交渉をするようにと進言した。そして博士は大統領に次のように語った。以下はそのあらましである。「私はワシントンの日本大使館から依頼を受けた。それは日本の外務省を通じてではなく、大統領が直接、天皇陛下に電報を送るようにすれば、陛下の命令に日本政府は従うであろうから、戦争は回避できると思うので、そのようにして欲しい」そして大統領はジョーゼフ・グリュー駐日アメリカ大使を通して陛下に送ったのであった。12月5日のことである。太平洋戦争勃発の二日前のことであった。後日、天皇陛下は寺崎英成氏に、「もし、その電報をルーズヴェルトから一日早く受け取っていたなら、攻撃(真珠湾)は避けられたものを!」と、慨嘆されたと言う。ジョーンズ博士も日米の衝突を避ける鍵を握っていた人物であった。彼は1942年に中西部にある七カ所もの日系人強制収容所を訪問しては何千人もの日系人に福音を語って励ましている。日本人をこよなく愛された人物の一人である。

ジョーンズ氏はまた賀川豊彦氏とも親しい関係にあった。彼は日米首脳会談を開くことができるよう計画していたのだったが、越えて12月1日早朝、次のような長文の電報を賀川氏に送ったのだった。「アメリカの首都ワシントンの全キリスト教会では、日米会談が円満に解決されるように、去る11月29日より向こう一週間、昼夜連続、ある所では徹夜の祈祷会が開かれている」と。賀川氏も時を合わせて一週間祈ったのだが、祈りは聞かれなかった。祈りが終わった丁度その時、日本海軍の真珠湾攻撃の報がラジオから流れたのだった。

「平和をつくり出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子を呼ばれるであろう」(マタイ5:9)と主イエスは言われている。平和は神の子の祈りによってつくり出されてゆく。ジョーンズ先生は、この平和をつくるために、日米に呼び掛けて、主のみわざのために最善を尽くしたのだった。祈りは聞かれなかったが、日米平和のために尽くしたその努力は人々の心に残ったのであった。