石叫■          「この夏の家族の救い」

 この夏、三年ぶりに故郷の津軽に帰った。九十歳になんなんとする母の見舞いと家族伝道のためである。僕はクリスチャンになってから、かれこれ四十年近くなるが、その時から家族には何度も福音を語ってきた。時には家族総出で出かけて行き、娘が踊り、息子がギターを弾き、家内が証しをし、僕が話をしたこともあった。だが家族伝道は一人ひとりと向き合わなくてはいけない。そのためにどうしたら良いかと思いあぐねていた時、中国宣教師の新川誠先生が29日(日)の週末は空いているというので、おいでいただくことにした。

新川先生が来た当日早々、なぜクリスチャンになったのか、どうして中国へ宣教師として行くことになったのかと畳み込むように姉が聞いてくる。先生の証しが続く。次の日は北米でも見たあの中国・北朝鮮国境のヴィデオを見る。命がけの宣教が姉の心を打ったようだ。僕らの家族だけではもったいない。親類縁者に見せたいと何度も言う。そしてついにサンデーがきた。僕の住んでいる小さな田舎町にも日本基督教団の教会があるのだが、それだと個人的に話たり、反応を見て対応することが難しい。そこで家で礼拝をすることにした。

特に日曜礼拝のために心を備えて先生と一緒に祈っていたところ、その朝に語るメッセージが同じルカ16章の「金持ちとラザロ」だということが分かった。そこにすでに神の導きを感じていた。僕は先祖を敬うということが何であるか。何を根拠に信じるか。信じたらどうなるのかというメッセージを語り、先生はその聖書の箇所を詳しく話してくれた。そして最後に僕が網引きをした。 

そこで僕は「ある宣教師と真珠獲りの話」をした。何年も南方の島で福音を伝えてくれた宣教師が本国へ帰るというので、その感謝のため、ある漁師が文字通り息子の命をかけて取った黒真珠を彼に手渡した。高価なものだったので、彼は金を出そうとした。でも漁師は受け付けない。しばらくの問答の末、「先生、この息子の命のかかった真珠を金で受け取ろうとするのですか?」と詰問した。その問いに彼はハッと目覚め、それをタダでいただいたという内容である。

 姉は六年前の自分の胃を全摘した経験を話し、その時から自分の命のことを考えるようになったと涙ながらに話だした。そして最後にその真珠を受け取ると言ってくれた。神の栄光を見た一瞬であった。ノアは「その家族を救うために箱舟を造り」(ヘブル書11:7)とある。愛する者の救いのために私たちの側で箱舟という救いの場を設ける必要がある。背後の祈りを心から感謝したい。