石叫■          「ただある共通すること」

 クェーカーの日系人への貢献を書いた『日米の隠れたヒーロー』を上辞する日が近い。後は写真、クェーカー本部からのコメントを待つのだが、その最後の仕上げをと思って、何度も読んだ『フレンズ・ジャーナル』をめくっていたところ、ブース・グラシアという人の書いた左記の文が深く心に留まった。

 1942年は、アメリカの市民権のある無しに拘らず、日系人関係者全員が西海岸から強制退去しなければならない状況下にあった。私は近隣の日系人たちが彼らの家や仕事場から連行されてゆく姿を、ただじっと何もしないで見ていることが出来ずに悶々としていた。そんなある日の朝、私は登録のためにロサンゼルスのある郵便局に出向いたのだった。建物に入ろうとしていた時、小柄な一人の日本人女性が階段の隅で、幼子を抱えたまま激しく泣いているのに気が付いた。私は近づいて、「一体どうしたのですか?」と尋ねたのだったが、一瞬、私から離れて身をこわばらせた。彼女はあまり英語が分からなかったようだ。その時、一緒にいた二歳にもならないであろう女の子が母のスカートを引っ張って私に何か応えるように促したのだった。でも、その母親は全くそれを無視して、しばらく私から離れて立っていた。そこで私はその子に微笑んで、手をその子の頭に置いたところ、その子のすすり泣きは次第に止んでいった。

するとどうだろう、その女性は私が座っていた階段のそばに近寄ってきて、私の膝にもたれ掛かるようにして座ったのだった。そこで私は彼女の髪にそっと触れ、涙ながらにその泣き顔を見たところ、彼女はすでに疲労困憊のあまり眠ってしまっていた。その時、奇跡が起こった。彼女は私の肩にもたれかかったかと思うと、何か解放されたかのように、すすり泣きを始めたのだった。そして、その疲労しきった手が私の膝から、その子に置いていた私の手の上に置かれたのだった。そこでどのくらい居たのか分からないが、じっとして何も言わずに、ただある一つの共通することだけを思って座っていたのだった。それはお互いに母親であったという事実である。しかし、それだけで十分であった。

 パウロは「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(ローマ12:14)と命じているが、このクェーカー教徒の女性はまさに、この日系人女性の痛みを、自分のこととして痛んだのだった。たとえ相手が敵国人であったにせよ、その憎しみを越えて痛み、涙したところに、相手の心を開く要因があったのだ。この夫人の手は何と温かく、その日本人女性の心を包んだことであろうか!