石叫■           「水の上を歩け」

 ジョン・オートバーグは北加にあるメンロ・パーク長老教会の主任牧師である。彼が「舟から出て、水の上を歩いて」という書を著した。ペテロが主イエスの招きに応じて湖上を歩いた時の心ときめくような信仰の解き明かしである。

 以下はマタイ福音書十四章の出来事である。ペテロと他の十一弟子たちはある日の午後、ガリラヤ湖を渡るために小さな舟に乗り込んだ。しばらくすると嵐が来て、進むことも戻ることも出来なくなってしまった。その時、弟子たちは水の上を誰かが歩いているのに気がついた。彼らはそれが幽霊だと思って、恐れのあまり叫び出してしまった。どうして弟子たちは、それがイエス様だと気がつかなかったのかと思うのだが、しかし、主を認めるためには信仰の目が必要とされることを思い起こしてくれる。そのような中でペテロひとりは、水の上を歩こうとしていた。そして主に言った「もし、あなたでしたら、私に水の上を歩いてここまで来い、とお命じになって下さい」。これは本来あるべき弟子についての話であるから舟から降りる前に、ペテロは主がそれを良しとお考えになるかどうかを確かめねばならなかった。主は「おいでなさい」と言われた。風が穏やかな日中ならともかく、嵐吹く真夜中の三時に、水の上を歩くことは怖いはずだ。しかも舟から降りないなら、水の上を歩くことは出来ない。

ところであなたにとって舟とは何か。どんなものであれ、神から離れ、安心や安全を与えるものがあるとしたら、それがあなたの舟である。ついにペテロは水の上に足を踏み出したのだった。しかし彼は主に向かって歩いている途上で風を見てしまった。嵐とか回りの状況は何も変わってはいないのに、何が変わったかというと、ペテロの焦点が救い主から嵐に移ったことであった。

この水上歩行について二つの真理がある。それは「恐れは決して過ぎ去らない」ということである。というのも成長する時はいつでも、新しい挑戦を受けことになるからである。恐れと成長は「マカロニとチーズのように、いつも一緒である」。さらにはペテロが助けを叫び求めた時に、主によって引き揚げられる栄光を知ったことだった。他の弟子たちはそれを経験出来なかった。一番の失敗は波の中に沈むことではなく、舟から降りないことである。というのも水の上こそが主イエスの居られる所だからである。愛する友よ、舟から降りるということは、人に喜ばれるよりも主に喜ばれる生き方をすることである。そこは嵐である。でもそこにこそ主があなたを招いておられるのではなかろうか!