石叫■            「教会を越えて」

6月15日付けの『ラフ新報』の「磁針」に納得させられるものがあった。「党派を越えて、いや越えられるかな」という徳永憲治氏のものである。

「中間選挙まであと約半年。民主党は随分苦労しているようだが、頑張り通すことができるかな……どの国の政治を見ても同じだが、お互いに足の引っ張り合いばかりで少しも前進していないように思える。アメリカでいえば「ティーパーティー」、日本では5人組の小党、新党、文句たらたら、何とかして相手の足を引っ張り、案をけなすばかり。反対をするのなら、それに対抗する実現可能なより良い案のひとつも出してみないか。「そんなのダメダメ」なら小学生でも言える。「彼が言ったから反対だ」までなら中学生でも言える。「僕の言うことを聞いてくれたら賛成」は高校生か。もっと掘り下げて研究すれば何事も実現可能、政治家はバカではないはず。どんな決議案であれ、超党派が国民のために真剣に考えれば絶対に良い案が生まれると思う。が、実のところ、口先では「国民のため」ときれい事を言っているが、本音は党のための政治。党にくっついていれば(甘い汁)を吸えるのだから仕方ないかも知れないが。「党の方針がこうだから」ではなく、「党は党だが、私はこう考える」とはっきり言える政治家はいないものだろうか。云えないだろうな。そんなことしたら党から干されて政治生命は終わりだものね。現に、党に反対、移籍したペンシルベニア州のスペクター議員は「変節者」あつかい、先の選挙で負けてしまった。しかしながら、である。政治生命をはってでも国民のために働く政治家がいてもいいんじゃないかな。昔はゴロゴロ居たように思えるが、どうか反対するばかりじゃなくて、もっと建設的な行動をおこしてもらいたいものだ」

悲しいかな、国のためと言いながら、多くの場合、党のため、特定の人たちの利益のために国民が動かされてきたというのが現実であった。それを教会に移し変えてみると、自分の教会や教団だけは神の祝福があるようにと、祈ったことはないだろうか。自分だけは他よりも成長しようと意気込んできたのではなかったか。そんな思いが私の中に全く無かったとは言えないものがある。

 伝道が世界で一番困難な日本の現状を考える時、自分たちだけが成長しても他教会が衰退してゆくとしたら、神の国の益にはならないのである。各個教会こそが自分たちの利益を超えて「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(ローマ12:15)というパウロの叫びを真摯に受け止めたいものである。