石叫■            「ウェスレーの母」

 18世紀半ば、産業革命の只中にあった英国でメソジスト教会をはじめたジョン・ウェスレーは、その母スザンナについて語る時に、いつも「私が妻を迎える時は母のような人を選びたい」と言っていた。5月第二の聖日の「母の日」にあたり、彼女について少しく語らせてもらおう(例話大全集・小原国芳編)。

 スザンナ(1669年〜1742年)は牧師の娘で、二十歳の時、牧師のサムエル・ウェスレーと結婚した。ジョンは十五番目の子であった。しつけは厳しく、女中に対するぞんざいな言い方は許さず、ていねいに言わせるようにした。子供の過失に対しては悔い改めたら決して追い討ちはせず、善行については大いにこれを褒めた。彼女は子供が満五歳になると、毎晩一人一人に神の話をした。すなわち、月曜にはモーリー、火曜にはへチー、水曜にはナンシー、木曜にはジョン…と。ジョンには木曜の晩のことが終生忘れられないものであったと見え、後に母に書いた手紙に中においても、このことについて触れたものがある。スザンナは四十歳を過ぎた頃、日曜の晩に、キッチンに子供たちやお手伝いさんを集めてイエス様の話を始めた。彼女はすでに子供向きのキリスト教の本を三冊も書いていたので、聞く人の心を感動させるものであった。そんな訳で、彼女の話を聴きたいという人がしだいに増え、ついに二百名を越える始末であった。後になって、ジョン・ウェスレーが伝道者として、教会や教団を超えて人々を引き付けることになったのは、まったくこの母スザンナの例にならったものであった。彼女が58歳の時、夫が中風気味で床についていたので、ジョンはしばらく父母のもとに帰って伝道を助けた。そうこうしているうちに、熱心な人々が団体をつくって、貧しい人、病気の人、獄中の人、負債に苦しむ人、そんな人々を慰め、励ます仕事に乗り出した。そしてジョンがその長に推された。彼はもっぱら慈善を行ったが、この仕方も母スザンナの教えた方法であった。やがて、これらの働きがイギリスからアメリカに波及し、150年をへた時には1400万人に増え、アメリカ随一の教派になっていた。

 箴言に「主を恐れる女はほめたたえられる」(31:30)とあるが、この書の結論が、主を恐れるという言葉である。これはつまり主を第一とし、自分のように隣人を愛するという聖書最大の戒め(マタイ22)に生きる生き方である。ジョンには、そのような母の献身的な愛と祈りとがあった訳だが、彼女こそ母たる者の鑑である。すべては主の十字架の愛に応えるところから始まる。