石叫■            「三日耐えよ!」

 『心に残る、とっておきの話』(潮文社・1993年)にある門奈鷹一郎氏の「横田瑞穂先生のこと」が多くの珠玉の投稿の中でも群を抜いて心に迫った。

昭和二十五年、早稲田大学第二文学部露文科に入学した私たちにロシア語の手ほどきして下さったのが横田瑞穂先生の最後の授業での、はなむけの言葉だ。

「私はこの四年間、教師として何一つ学問らしいことを教えてあげられなかった。またその力量が私にないことも承知している。その償いとして、今日は二つのことを君達に、はなむけとして、いや、お願いとして話させてください。先ず、第一に君達はこれから今まで以上に手紙をはじめとする文章を書く機会が多くなるはず。自分の書いたものは、たとえどんな小さなメモでも、必ず一度は読み返す、という習慣を身につけてください。次にこれから社会に出て、これまで以上に長い人生を送らねばならない。その道程で、君達はきっと一度は何らかの壁に突き当たるはずだ。精神的、あるいは物質的に。いつどこに待ち構えているか分からない人生の困難に遭遇した時…何とか思い出してください。もう絶対解決の手段が無いと思った時、どんなに苦しくても、そう、死んだほうがよほど楽だと思った時でも、三日間頑張ってください。どんなに泣き叫んでもいい、壁に頭を打ちつけながらでも、飲まず食わずでもかまわない。三日間、三日我慢し給え。三日耐え抜けば、不思議なことに、ちょうど真暗闇の物置の中にいて、自分の周囲は全くの闇ばかりだ、と思っていたのが、よくよく辺りを見回すと、今まで気付かなかった一隅から、ほんのかすかな、針ほどの光が差し込んでいるのに気付くように、一筋の望み、解決の糸口を見出すはずだ。いや、きっと見出せると私は断言します、そしてもし、その三日間に私の名を思い出してくれたら、どこに居てもいい、必ず私に連絡してくれ給え。きっと何かの力になってあげられると思います。決して短気を起こさず三日間頑張ってください。この二つのことを、はなむけの言葉として私は贈りたい」

使徒マタイは、「イエス・キリストは、自分が必ず…殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた」(16:21)と語る。主イエスが十字架で殺され、墓に葬られた後、呆然自失となった弟子達を希望に変えたのは、三日目の主の死からの復活であった。三日間耐え忍べとは、よくも言ったものである。横田先生は聖書に知悉していた人だったのかも知れない。改めて三日間という時間のもつ神の知恵に脱帽し、驚嘆する他はない。