石叫■           「心臓移植二十年」

 この3月28日で、家内の節子が心臓移植をしてちょうど20年目にあたる。その深夜、UCLAでオペをしたのだった。ジェット機で三時間の飛行距離内であるならば、全米どこからでも心臓の提供がなされる。病棟屋上にあるヘリポートからバーバンク飛行場に臓器を受け取りにゆき、それから4時間に及ぶ大手術がなされたのであった。心臓の提供者は白人の23・4歳の女性であったという。その心臓がどのような経緯で提供されたかは知らされないが、それから早、20年が過ぎようとしている。果たして20年前、一体誰がこの日を夢想したであろうか。振り返ってみると、実に奇跡の連続の日々であった。

半年にも及ぶ様々な検査の結果は移植というので、そうせざるをえなかったのだが、もうその頃は半年の命と言われた。その頃、「移植して半年持てば良い」、あるいは「せいぜい三年ほどでしょう」などと言われたものだ。なぜそのような病になったのかは分からない。ビールスなのか。それとも何か他の原因があったのか。術後は何度か拒否反応が起こったり、過呼吸のために呼吸困難に陥って緊急治療室に運ばれたりもした。そのようにして幾多の危機を乗り越えることが出来たのだが、それを支えたのは日本からの家族であった。特に家内の母の助けなくして私たちが生き延びることは出来なかった。でもそれと共に心強かったのは、多くの教会内外の友人・知人が絶えず祈り支えて下さったことだ。それらの方々は未だ「毎日祈ってます」と言っては励まして下さっている。

この八年ほどは腎臓機能の低下で人工透析をしなくてはならなくなっている。その原因は心臓の拒否反応を抑えるために、強い薬を毎日朝夕飲むことによって、他の内臓の機能を傷めるからだった。結局、腎臓にきた。そして今は、腎臓移植の提供を待っている。だが、長年の強い薬の投薬ために家内の体には抗体が出来てしまっており、彼女の血液型Bの80%は受け付けないのだという。だから尚さら待たされる。「普通に弱った腎臓だったら、とっくに移植をしていましたよ」とは専門医の言である。現在、移植の上に主の導きを仰いでいる。

パウロは「神の恵みによって、わたしは今日あるを得ている」(Tコリント15:10)と言ったように、私たちは神の一方的な愛と憐れみによって生かされてきた。だから神が今後、家内をどのように導かれるのか知る由もないが、何をどうされるにしても、神がみ心をなして下さるのだから安んじていようと思う。そして神を讃えて行こう。それが生かされている者の仕事だと思うからだ。